東京オリンピックの招致プレゼンで有名になった「滝川クリステルさんの合掌の仕草」についてはネットで賛否両論あったようですが、ハリウッド映画や外国人のYOUTUBEなどによく出てくるのが「東洋人」=「合掌」というイメージが定着しているように思えます。

私たちは小さい頃から家庭で学校での食事の際には「合掌」をして、「いただきます」、「ごちそうさま」というのがごく当たり前の生活習慣として身に付いているので、なんの違和感もありません。

ところがあるNHKの「朝ドラ」を見ていて、「あれ、合掌してない?」とふと気づいてから、「合掌って、みんながみんなするんじゃないんだ」「海外では合掌ってしないのか?」「日本人っていつから合掌しているのか?」など合掌の意味と起源について疑問が湧いてきたので調べてみることに。

何気ない動作にも始まりには意味があるはずです。改めて日本の文化を見直す意味でも、どうぞお付き合いください。

合掌とキリスト教

1986年7月に富山県で、1998年には、長野県の学校で、学校給食時に行う「合掌」の号令について、クリスチャンが苦情をあげ、問題・取りやめになったことがありました。

その理由として「合掌」は、仏教の習慣・儀式であり、公立学校で使うのは間違いであるとの指摘によるものでした。

確かに日本国憲法 を見てみますと、

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
とあります。

つまり、クリスチャンにしてみれば、伝統的に使ってきた「合掌」という言葉の風習が「強制」とみなされたれたようです。

「合掌」は長い年月をかけて日本の風土上、宗教的な慣例として行われてきたものなので、決して強制ではないにしても日本人の好む多数決にも少数派の意見を無視する傾向があるのかもしれません。

いずれにしても学校の給食の時間等に教師が生徒・児童に強要するのは、問題のようです。ですから、NHKなどの放送局でも中庸のスタイルを採用しているのではないかと思われます。

キリスト教も手を合わせてるんじゃない?

キリスト教でも合掌している絵や、写真を見かけますが、キリスト教では祈る際に手を合わせる「掟」はなく、祈りは姿勢や手の位置、組むか重ねるかなどの規制は一切ありません。祈りたいように祈る。形ではないのです。

マリア 合掌

ちなみにキリスト教の礼拝ポーズは、プロテスタントが「手を組む」で、カトリックは「親指をクロスして手を合わせる」のだそうです。聖母マリアの像や絵画はどう見ても合掌しているように見えるのですが、、、。見えませんか?

合掌の意味

合掌(がっしょう)とは、インド起源の礼拝の仕草。両手のひらを胸または顔の前で合わせる動作。仏教における合掌は、右手が仏で左手は自分を表します。両手を合わせることで、仏と自分を一体化するのだそうです。

他人に向かって合掌をすることは、その者への深い尊敬の念を表す動作になります。

文章の末尾に書く「合掌」という言葉は、故人に向けての哀悼の意を示すために添えられることがあります。

日本では仏教に関する儀式の際に行われるだけでなく、お詫びをするときやお願いをするときに、相手を持ち上げるための仕草として使う例もあります。

合掌の種類

堅実心合掌 – 最も一般的な合掌。両手の平および指をまっすぐに伸ばしてずれや隙間のないようにぴったりと合わせる。素直で偽りのない祈りの心を表現するとされる。

虚心合掌 – 手の平と手の平の間に、少し隙間ができるように合わせる。子どものような穢れのない心を表現するとされる。

金剛合掌 – 指を少し開き、交互に組むようにして右手を上に手の平を合わせる。左手を上にする人もいるがそれは正しくない。より強い仏への帰依を表すとされ、帰命(きみょう)合掌とも呼ばれる。

片手で行う略礼という形式もある。他人に向かって合掌をすることは、その者への深い尊敬の念を表す。

宗教からかけ離れて、左右の手のひらのシワを合わせて自他に幸せを祈るという「シワ合わせ」と洒落て使用している方もいらっしゃいます。

合掌は他の宗教にもあるの?

神道

古来から神(神道の神々)を礼拝するために合掌という習慣があります。元々はやはり仏教誕生の地であるインドが発祥のようです。神道でのニ拝ニ拍手の後、合掌しているかのようですが、「拍手の後に静止した状態」であり、合掌を意図するものではないようです。

一般神社では、あまり行いませんが、出雲神道では祝詞奏上の間に参列者が手を合わせている事が普通で、これは古い習俗のようです。

ヨガのムドラー

ヨガで行うムドラー(アンジャリムドラー)は体の型、プラナ=エネルギーの流れを良くするテクニックの事で、この時合掌のポーズを取ります。若干肘が水平に上がっているところが違います。

インドやネパールでは

サンスクリット語の「ナマステ」は、インドやネパールで交わされる挨拶の言葉ですが、この挨拶をするときに、合掌し、多くの場合は軽くお辞儀をするのだそうです。

合掌のタトゥーの意味

タトゥーでよく見かける祈り手(プレイング・ハンズ)は左右の掌(手のひら)を合わせて合掌をした手のデザインを指します。英語では「Praying Hands」と言って、神への祈りを捧げる宗教的なタトゥーデザインとして人気があります。

この絵の原画はドイツのルネサンス期の画家「アルブレヒト・デューラー」によるもの。1508年に完成した「祈る手」は最も有名で、現在ではウィーンにある「アルベルティーナ美術館」に所蔵されているそうです。

おわりに

普段何気なく使用している動作や言葉にはその起源があり、その意味を間違えて使用すると、時に相手に対して真逆の印象や軽蔑・否定を意味することになりかねません。

ただでさえ、日本人はクリスマスの数日後に初詣に参拝したり、朝夕仏壇を拝んだり、お寺に法要を聞きに行ったりとごちゃまぜの宗教観を持っています。

外国の方からみると、信じられないかも知れませんが、これも建国の長い歴史(世界で一番古い・国ができて一番長い)の中で、宗教の弾圧と、海外からの布教などを繰り返していく上で、生き抜いていくための処世術だったのではないかと思います。

忘れていないのは相手への思いやりと尊敬の念が合掌の中に残っているのではないでしょうか?

学校の給食など、宗教を問わずに食べ物とそれを提供していただいたすべての人に感謝する意味を込めた「合掌」が無くなっていくのは確かに寂しいような気がします。皆さんはどうお考えでしょうか?

以上、合掌の意味と起源についての調べ、スッキリされたでしょうか?

関連しらべ:合掌造り

「合掌造り」とは、木材を梁(はり)の上に手の平を合わせたように山形に組み合わせて建築された、勾配の急な茅葺きの屋根を特徴とする住居で、又首構造の切妻屋根とした茅葺家屋です。ウィキペディアより抜粋

白川では「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴で積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に適合した構造に造られています。

白河村役場HPより
http://shirakawa-go.org/kankou/siru/yomu/146/